マサチューセッツ大学へ通うのに莫大な費用がかかることは周知の通りだ。これはほとんどのアメリカの大学に共通することである。授業料は値上がり続けているようだ。学生は食費や住居費、医療費も負担しなければならないが、本来学生は教育を受けるために高い授業料を払っているのである。出席数が評価の対象になるのはおかしい。授業を休むかどうかは学生自身の問題であり、欠席した分は成績に表れるだろう。
同様に、教授が学生に体調不良による欠席の証明書を保健室(UHS)から貰うように求める筋合いはない。学生も既に回復しようとしている時に、どれだけ体調が悪かったかを証明するためだけにUHSへ行く必要はない。何時間もかけてUHSまで行き、帰宅して休むように言われ提出用の届をもらうためだけに何時間も診察を待つのであればなおさらだ。医者に診てもらうことを批判しているのではない。はじめから家で休み、少しでも早く回復するように、休息をとって水分補給をすることが回復への一番の近道だったはずだ。大学は社会に出るための準備をするところだという人もいるが、大人は風邪で仕事を休むために医者から書類をもらったりしない。風邪だと言われればそう信じるのがふつうである。
そもそも学生は学ぶために授業を受けるのに、なぜ「出席」が一つの項目として成績に含まれているのだろうか。毎授業出席し、何もしないでただ座っているだけの学生が出席点で最高評価をもらい、多少欠席したとしても授業に積極的に参加している学生が減点されるなど、おかしな話だ。
欠席回数に上限をつけることによって、学生は無理をしてでも授業に出席しなければと自分自身にプレッシャーをかけてしまう。結局体調の回復が遅れたり、他の生徒に病気を移してしまうこともあるのは言うまでもない。
ただでさえ学生は勉学、クラブ活動、バイトなどで忙しいのだ。私自身も、大学に入ってから精神的に病んでしまったので、時には我慢して勉強しなければならない。精神的な不安による症状は一見分からないが、身体の体調不良は明らかに見てわかる。特に、咳やくしゃみが出る時は、周りの人を不快にさせたり伝染を心配させたりしたくない。しかし、授業を休むという選択肢がないと、自分の身体や他の学生を犠牲にせざるを得ないのである。
どれだけ授業に貢献したかではなく、授業に出席しているかどうかで判断されることは、不公平だと感じる。無理して来たことで他の学生に危機をさらすことになるのも問題だ。
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